相手が信号無視で突っ込んできた事故なら、治療費も休みの分の給料も慰謝料も、全部その相手に請求すればいい。そう考えて示談の席につくと、台湾では話が一段ずれます。被害者が最初に受け取るお金は加害者からではなく、加害者の車にかかっている強制保険からで、その給付は「加害者が払うべき賠償の一部」として後で差し引かれるからです。
台湾に住んでいる人も旅行中の人も、お金の流れは同じ二段です。事故直後の手続と警察資料の取り方は事故の手続の記事と警察資料の記事で扱っています。
一段目:強制保険は相手の過失を問わない
台湾の強制汽車責任保険は日本の自賠責保険にあたる制度で、事故で人が傷害を負うか死亡すると、加害者に過失があったかどうかにかかわらず、請求権者は保険会社に給付を請求できます(強制汽車責任保険法第7条)。相手と揉めている最中でも、この部分は先に動きます。
給付は三種類です。傷害医療費用給付、失能給付、死亡給付(第27条)。金額は主管機関が定める給付標準にあり、標準が改正されたときは改正の施行日以後に起きた事故から新しい金額が使われます(同条第3項)。給付標準は2026年5月29日に第3条・第6条・第7条・第9条が改正され、第9条により2026年7月1日から施行されています。
現在の金額はこうです。
傷害医療費用は、必要かつ合理的な実費で、一人一事故あたり20万元が上限です。救急車や捜索救助の費用、診療費、通院・転院の交通費、入院中の看護費が対象で、個室差額は1日1,500元、入院中の食費は1日180元、義肢は上肢または下肢一本につき5万元、義歯は1本1万元(5本以上は合計5万元)、義眼は1個1万元までという内訳の上限があります(給付標準第2条)。健康保険に入っていない旅行者が自費で診療を受けた場合、診療費は衛生福利部の定める平均費用の範囲で見られます。
失能給付は、治療を終えても症状が固定し、回復が見込めないと医師が診断した状態を15等級に分け、第1等級300万元から第15等級8万元まで等級ごとに決まっています(第3条)。複数の障害が残ると、最も重い等級をさらに引き上げる併合の規則があります(第4条)。
死亡給付は一人300万元です(第6条)。
一人の被害者が一回の事故で受け取れる死亡・失能・医療の合計は320万元が上限です(第7条)。
当て逃げで車が特定できない、相手が未加入だった、所有者に無断で使われていた車だった。こういうときは保険会社の代わりに汽車交通事故特別補償基金に、同じ範囲で補償を請求します(第40条)。
給付は賠償の前払いとして扱われる
ここが日本の感覚と最もずれる点です。保険会社が被害者に払った給付は、被保険者である加害者の損害賠償額の一部とみなされ、加害者は被害者から賠償を請求されたときにその額を差し引けます(第32条)。
例えば、裁判所が認めた損害の総額が250万元で、強制保険から既に200万元を受け取っていれば、加害者に請求できる残りは50万元です。損害の総額が給付額を下回れば、相手に請求する分は残りません。示談の席で「強制保険とは別に慰謝料を」と切り出すと、相手側はこの条文を出してきます。
二段目:民法で相手に請求する項目
強制保険で足りない分は、加害者本人に民法で請求します。根拠は、故意または過失で他人の権利を侵害した者の賠償責任(民法第184条)と、車や機車を使用中に他人に損害を与えた運転者の責任(第191条の2)です。191条の2は、損害の発生を防ぐために相当の注意を尽くしたことを運転者側が証明しない限り責任を負わせる構造で、被害者が運転者の過失を一から立証する負担を軽くしています。
請求できる項目は、裁判でだいたい次の順に並びます。
治療費。強制保険の20万元を超えた実費、通院交通費、医師が必要と認めた装具や器材。
働けなかった期間の損害と、労働能力の喪失。身体や健康を害されて労働能力を失い、または減らした分、そして生活上の需要が増えた分(看護、介助、住宅の改修など)は賠償の対象です(第193条)。休業損害は「医師の診断書に休養1か月と書いてある」だけでは認められず、実際に働けなかった期間と、実際に減った収入を書類で示します。自営業者は収入の資料が出せないと、裁判所が別の基準で低く算定することがあります。労働能力の喪失は、後遺障害の程度と年齢、収入から長期の損失を計算する項目で、金額が最も大きくなりやすいところです。
慰謝料。財産上の損害でなくても相当な金額を請求できます(第195条第1項)。被害者が亡くなった場合や、父母・子・配偶者としての身分法益が重大に侵害された場合は、家族も自分の慰謝料を請求できます(同条第3項)。金額に相場表はなく、傷害の程度、治療期間、双方の社会的地位や資力を見て裁判所が決めます。
物損。車両の修理費は実費が基本ですが、新品部品に換えた分について使用年数に応じた減価を差し引く判断が見られ、工賃は差し引かれないのが通常です。修理後の「事故車」としての価値の下落が認められることもあります。
過失相殺と事故鑑定
被害者側にも落ち度があれば、裁判所は賠償額を減らすか、免除できます(第217条)。ここで出てくるのが行車事故鑑定です。
鑑定意見書は、一方だけに過失があれば「肇事原因」と「無肇事因素」、双方に過失があり程度が同じなら「同為肇事原因」、程度が違えば重い方を「肇事主因」、軽い方を「肇事次因」と表示します。割合は書きません(車両行車事故鑑定及覆議作業弁法第8条)。「次因なら三割減」のような換算表は弁法のどこにもなく、何割かは裁判所が証拠を見て決めます。鑑定の表示がそのまま賠償の割合になるわけではなく、「次因」の表示があっても裁判所が証拠から別の割合を認めることがあります。
鑑定に納得できなければ、意見書を受け取った翌日から30日以内に理由を付けて覆議を申請できます。1回限りで、すでに検察や裁判所に係属している事件は、その機関を通して転送してもらいます(第10条)。
期限は「相手を知った時」から2年
不法行為による損害賠償の請求権は、損害と賠償義務者を知った時から2年で消滅し、事故の時から10年を過ぎても消滅します(第197条)。日本の民法では、人の生命・身体を害する不法行為は知った時から5年です(第724条第1号・第724条の2)。台湾の2年はそれよりかなり短く、旅行中に事故に遭って帰国し、2年目の終わりに動き出すと間に合いません。起算点は事故日ではなく「相手を知った時」ですが、警察の記録で相手が最初から分かっている通常の事故では、事実上事故日から2年と考えて準備します。
刑事の過失傷害は被害者の告訴があって初めて処罰される罪で、告訴の期限は別に6か月です。刑事と民事は進め方も期限も別なので、こちらは事故の手続の記事にまとめています。
示談書に署名する前に
強制保険の給付額を確認してから、残りの金額を話します。給付を受ける前に示談書で「本件に関する一切の請求を放棄する」と書くと、後から出てきた後遺障害の分を請求する道が狭くなります。
診断書は「宜休養〇週」という記載だけでなく、就労不能の期間が医学的に説明できる内容かを医師に確認します。休業損害はこの記載と収入資料の両方で決まります。
帰国する人は、日本で続けた治療の領収書と診断書も請求の対象になります。外国の病院の書類が証拠として扱われることはありますが、中国語訳と認証の手間があるので、帰国前に台湾側の診断書を揃えておきます。
示談書に署名する前に見てもらいたいものは、警察の当事者登記聯単または事故資料、診断証明書と領収書、相手の保険会社からの連絡や給付通知です。昊鼎国際法律事務所(wei@hoveringlaw.com.tw)が、強制保険の請求から加害者との交渉・訴訟までを日本語で引き受けます。
参考にした公的資料
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民法(日本)第724条・第724条の2(e-Gov法令検索)
条文の確認日:2026年10月6日(台湾時間)。給付標準の改正後の金額が適用されるのは改正の施行日以後の事故です。物損の減価や事故車の価値下落、慰謝料の額は個別の判決の判断で、相場ではありません。
よくある質問
- 相手が無保険車や当て逃げでも、強制保険の給付は受けられますか?
- 事故車両が特定できない、未加入の車両だった、所有者に無断で使われていた車両だった場合は、保険会社の代わりに汽車交通事故特別補償基金に対して、強制保険と同じ範囲で補償を請求できます(強制汽車責任保険法第40条)。
- 強制保険の給付を受けると、相手への賠償請求はその分減りますか?
- 減ります。保険会社が支払った給付は被保険者(加害者)の賠償額の一部とみなされ、加害者は賠償を請求されたときにその金額を差し引けます(強制汽車責任保険法第32条)。相手に請求するのは、給付でカバーされない治療費の残り、休業損害、慰謝料などです。
- 事故鑑定で「肇事次因」と書かれたら、賠償はどのくらい減りますか?
- 鑑定意見書は、一方だけに過失があれば「肇事原因」、双方に過失があり程度が違えば重い方を「肇事主因」、軽い方を「肇事次因」と表示するだけで、割合は書きません(車両行車事故鑑定及覆議作業弁法第8条)。何割減らすかは民法第217条に基づいて裁判所が決めます。鑑定に不服があれば、意見書を受け取った翌日から30日以内に1回だけ覆議を申請できます(同弁法第10条)。
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の事案についての法的助言ではありません。



